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【ネタバレなし】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』感想

「すべて、終わらせるー」。

そう銘打った大作が12月20日に封切となった。

筆者も初回をIMAX3D、2回目を2Dで共に字幕版を鑑賞してきた。

ブロックバスター映画が相次いだ2019年を締めくくる本作を観た率直な感想を、ネタバレなしで列挙していきたい。 

 
  • これまでの「あらすじ」

今一度、前作『最後のジェダイ』を振り返ってみると、スター・ウォーズの伝統を壊しながら核心部分のみを残す作品であった。
 
すなわち、宇宙船、ライトセーバー、ボスキャラと言った「いかにもスターウォーズ的」なものを次々に真っ二つにしつつ、シリーズの原点であるルーク・スカイウォーカーはそうならないという点に、破壊しつつ原点に戻るというシリーズの方針が表れていた。
 
エピローグで登場する少年も、次世代の「ルーク・スカイウォーカー」が各地で誕生し、銀河に希望の光を灯す可能性を提示したものであった。
 
個人的には、大きくなりすぎたシリーズの風通しをよくし、freshでnewな作品として好印象を持った。
同作で(一旦)明かされた主人公レイの出自も、本来民主的であるはずのスター・ウォーズ世界の本質を再確認させるものとして、非常に良かったと思う。
 
しかし、その衝撃的な内容と斬新な描き方(例えば、結末で示唆されるメタフィクション的語り口)ゆえに賛否両論となり、シリーズファンも二分されてしまった。
監督や役者に対する批判、そして誹謗中傷、次作『ハン・ソロ』の興行的失敗により、シリーズは立て直しを余儀なくされる。
 
前置きが長くなってしまったが、本作『スカイウォーカーの夜明け』は、分断されたファンとトラブル続きのシリーズを再編する上で重要な作品だということは確認しておきたい。
 
  • 率直な感想

さて、『スカイウォーカーの夜明け』について。
筆者の率直な感想は、「部分的には良いが全体的には粗が目立つ作品」である。いかに詳細を記す。
 
 
  • スピード感

まず、全体的に疾走感のある作品で、飽きさせない映像づくりを楽しめた。
オープニングのアクションは『シスの復讐』を超える臨場感だと思うし、中盤までの『インディ・ジョーンズ』的な展開もスリリングだ。
キャラクターよりもミステリーで引っ張っている感じが否めないが、観客の関心を引き続ける点ではうまく機能しているように見える。
 
特に、予告にも登場した砂漠での追跡シーンは、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』や『マッド・マックス/怒りのデス・ロード』のスター・ウォーズ流解釈とも取れ、観ていて楽しめた。
予告にも少し映っている、空を飛ぶストーム・トルーパーも面白いアイデアで、
3Dで見ると迫力があった。
 
 
  • よくしゃべるC-3PO

振り返ってみると、新シリーズに入ってから3POはあまり活躍していない。
本作では、旧作でのあたふた感が復活し、コミックリリーフとしての役割を存分に果たしていた。
また、饒舌な彼に対する「無慈悲」なカットも笑ってしまった。
 
一方、中盤の3POに関する大きな動きは、必要だったのだろうか。
結果的に、彼の活躍や観客の感傷もプラマイゼロになってしまっている。
700万を超す宇宙言語に精通している彼にしかできない仕事を、代償を払うことも含めて、もう一工夫できたと思う。
 
 
  • 繰り返される「修復」

次に、映画の全体像について。
 
前作を「壊す」作品とするなら、『スカイウォーカーの夜明け』は「修復」する作品だ。予告で登場するように、悪役カイロ・レンのマスクは修復され、レイのライトセーバーも元の状態を取り戻している。
 
ボロボロになったはずのレジスタンスやファースト・オーダーといった組織も何事もなかったかのように復活を果たし、かつての反乱軍と帝国軍を思わせる戦闘を続けている。
そして、あろうことか、『ジェダイの帰還』で落下したはずのパルパティーンもrise(蘇り)に成功し、三部作の最終部に黒幕として姿を現す。
 
このように、前作で破壊されたものを修復することでスター・ウォーズを『最後のジェダイ』以前の状態、とりわけ『エピソード4-6』の旧三部作時代に近い状態に戻し、分断されたファンとシリーズを修復しようとする試みが強調されている。
 
しかし、戻すことは後退することを意味する。
 
伝統を破壊し、まっさらの状態から物語を新たに作るという前作までの意気込みはどこにいってしまったのか。
これが賛否両論を巻き起こした前作への回答だとすれば、加熱するファンダムに屈し、媚びを売っているようにしか思えない。
 
『最後のジェダイ』を無かったものとするような印象を受けるし、同作で初登場した人物も、今作では十分な活躍の場が与えられない。
同作で示された民主的な世界としてのスター・ウォーズは、再び限られた人物にしか活躍が許されない世界へと戻っていった。
 
 シリーズのクリシェ(お馴染みの表現)が人物、組織、展開に重ね書きされているのも、魅力的であったキャラクターを旧シリーズの焼き直しのように見せてしまう。
 
結果として、すべてが「昔みたもの」の繰り返しとなり、作品として前に進もうとする気概が感じられなくなってしまった。
 
 
  • 新しい人で古いことをする

筆者としては、ディズニー傘下の『スター・ウォーズ』作品は「古い人たちで新しいことをする」点に面白さがあると考えている。
 
『フォースの覚醒』で息子に語りかける父親ハン・ソロ、『最後のジェダイ』での堕落したルークの姿は、懐かしくも新鮮な描写だった。
スピンオフ作品『ローグ・ワン』での反乱軍の暗部、『ハン・ソロ』の青臭さを残した少年ハンも、シリーズの裾野を広げる役割を果たしていた。
 
新旧を降りまぜることで、お馴染みの人物に深みを与え、改めて愛着を感じさせるのはさすがディズニーの力量だ。
同時に、主人公レイをはじめとする新キャラクターも魅力的である。
レイ、フィン、ポー、カイロ・レンといった若者の姿をしっかりと提示し、観客の感情移入を促す点は旧作より優れていると思う。
 
そして、ハン、ルークという大物が退場した今、新キャラの物語をいかに描き切るかに筆者は大いに期待していた。
 
だが、「修復」するためだろうか、レイやカイロ・レンらの物語は『ジェダイの帰還』のような展開を繰り返しているように見える。
すなわち、「新キャラで旧作の展開をなぞる」という、聖地巡礼のような行為に出ているのだ。
 
旧作に頼らず、彼らの姿を描くチャンスを無駄にしてしまったのがもったいない。
「新しいものを見たい!」という筆者の期待は、パルパティーンの笑い声の前で消えてしまった。
 
冒頭に上げたキャッチコピーが表すものーそれは、新世代の物語を終わらせ、旧世代の物語をriseさせることに他ならない。
 
新生代の物語をawakeさせるうえで、the last generationたるパルティーンの復活は必要だったのか。
 
筆者が新生スター・ウォーズに抱いていたa new hopeは、保守派ファンのstrikes backを恐れるシリーズの決断ーすなわち血縁へのreturnーにより落胆にとって代わった。
 
見方を変えれば、ファンこそシリーズの方針を決めるthe phantom menaceともいえるだろう。一部ファンが必要以上ににattackし続けた結果、新シリーズの芽は摘み取られてしまった。彼らのrevengeはなされたのである。
 
 
  • まとめ

 

部分的には良いものの、『スター・ウォーズ』作品としてみると、シリーズとしてのブレが目立つ作品だった。
やはり、保守派ファン向けに振り切った印象を受けるし、新しい試みが十分でなかったように思う。
 
42年にわたる『スカイウォーカー・サ―ガ』の最終作としては、一皮むけずに終わった感は否めない。
 
3年後から公開の新シリーズでは、旧作に頼らない、全く新しい映画体験を作り出してくれることを祈りつつ、感想を終えることとする。