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ポール・オースター『4321』を読み終えて

2017年に発表されたアメリカの現代作家ポール・オースターの『4321』。

ペーパーバック版にして1070ページの大作だ。

同じく大作であるドン・デリーロの『アンダーワールド』(827ページ)を超す、

オースターの集大成である。

筆者も時間をかけて読破することが出来た。

 

2000年代から作者は「老い」をテーマとした作品を書いてきたが、

本作では一転「若さ」を主題としている。

 

本作出版時にイギリスで行われた読書会では、

作者自身の回想録『冬の日誌』や『内面からの報告書』が

『4321』のリハーサルのようなものだったと語られている。

年齢を重ねるにつれ、老いの自覚から若さの探求へと関心がシフトしているのだろうか。*1

 

選択肢の少なくゆえに、翻訳や伝記執筆などのプロジェクトに取り組んだ

かつての老主人公たちとは対照的に、

本作の主人公の若者Fergusonには可能性と選択肢に満ちた並行世界が用意され、

4通りの人生を送ることになる。

 

しかし、2人目のFergusonが早々に退場したように、

生の可能性には死の可能性が付きまとっている。

それを示すかのように、死者の存在は白紙チャプターとして挿入され続ける。

Ferguson達の死の瞬間が読者の脳内で反復され、

存命のFergusonの人生に不穏な味付けが施されることになる。

 

これはオースターの人生観を反復したものだろう。

『オラクル・ナイト』でTrause(Austerのアナグラムであることに注目して頂きたい)が語ったように、

人生には死が潜んでおり、それは突如として人間に降りかかってくる。

それは若者であろうと例外ではない。

新しい試みの作品の中でも、彼が描き続けてきた”the werid world”は引き続き描かれている。

 

また、オースターの定番ともいえるメタフィクションも繰り返し登場する。

Fergusonの著書として言及される物語内物語、

最終章にて明かされる本作の仕組みは、これまでの作品の延長線上といえる。

若さを描きつつ、オースター自身も若いころのポストモダン的作風に回帰しているのだろうか。

 

また、メタフィクションを語ることにより、

かつて存在した肉親や友人、虚構の人物までもrealなものとして発信しようとするFergusonは、オースターの歴代主人公の辿った道を思わせる。

ここに至って、若さと老いの境界線は曖昧となり、両者の違いも薄らいでいくことが読み取れる。

闇の中で生きながら、執筆とナレーションにより不可視の存在を可視化することに、

作家としての矜持が表れているようだ。

 

本作『4321』は、老いや若さと言った枠組みにとらわれず、

生きて語ることの意味を常にprojectし続ける作品である。

それはポール・オースターが近年描き続けてきたトピックでもあり、

彼を単純なポストモダン作家だけでなく、humanisticな特徴を持った作家足らしめている。

 

*1:事実、本作では歴代主人公David ZimmerやDaniel Quinn、Marco Foggの青年時代が言及されている。彼らの若さが描かれることにより、各作品での成熟した姿とのコントラストが強調されている。