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映画&ドラマ&音楽&本

2020年のこと

ようやく2020年の終わりが見えてきた。

 

新型コロナウイルスの感染拡大、

Black Lives Matter、

世界各地での火災被害、

そして国内外の著名人の訃報など、

今まで経験したことのないニュースと出来事に満ちた1年である。

(これを書いている今も、マラドーナ氏の訃報に驚いている最中である)

 

1年前出来ていたことがこれほどまでに出来なくなってしまうのか、

いや1年間でこれほどまでに世界は変わるものなのかと感じてしまう。

如何に我々の日常が変化に富んでおり、

contingenciesに満ちたものなのかがわかる。

 

最初は対岸の火事として、「大変だなー」くらいの感覚でいた

コロナ禍も世界中に広がり、収束する兆しを見せていない。

 

そんな状況の中で、多くの文化が影響を受けている。

remote workやsocial distancingと言ったコロナ禍によって生まれた文化がある一方、

消えていきつつある文化も多いことを忘れてはならない。

 

特に映画館は人が密集する環境と言うこともあり、

世界中で劇場の閉鎖が続いている。

日本では何とか通常通りの営業に戻しているものの、

上映作品から洋画が消えてしまうという異常な状況が続いている。

(ソウルフル・ワールド観たかった…)

 

映画を観たいけれど観れないという状況の中で感じたことがある。

(それは感染状況によるものでもあるし、自分のスケジュールの問題もあるが…)

自分にとって映画とは何なのだろうか、

特に映画館で映画を見る事とはどういうことなのか、ということだ。

 

映画館の鑑賞環境は家のテレビやパソコン、スマホで映画を見るのとはまるで違う。

視界に入るのは劇場のスクリーンだけ、音響は360度から発せられ、

劇場によっては音が足元に響いてくることもある。

あるいは売店では劇場用プログラムをはじめとした商品が並び、

ポップコーン等の飲食物も売られている。

 

当たり前のことだが、

映画館は、映画を観る体験を物理的・感覚的に提供する存在であり、

その中で観客はほとんどの場合ノイズなしで映画の中に没入することになる。

 

映画館の中で感動することもあれば、恐怖におびえることもあるだろう。

 

筆者は、その映画の物語とプロットを楽しみながら、

役者の演技やキャスティングが映画に加える効果、

音楽や効果音、場面の移り変わり方など、提示されている者をもとに

あれこれ考えることが好きだ。

 

自分の持っている知識を基に、「これはあの映画へのオマージュか?」とか、

「ここでこの曲がかかるのはどういう意味だ?」とか、

「そもそも何故この役者が出てるんだ?」と

観ながら考えることがとても面白い。

 

そこで気付いたのが、自分にとって映画とは運動のようなものであり、

映画館は運動場のような空間であるということだ。

その中で映画について頭をフル回転させることで、

いろんな感想・考察が生まれたり、

思わぬ繋がりに気付いたりする。

 

それは映画館と言うある種孤立した空間でなければなかなか難しい。

思考の運動、ともいえる活動を可能にしてくれ、

映画体験をもたらしてくれる映画館が危機に瀕している今、

自分にできることはないかと考えている。

 

ずっとお世話になってきている映画館への恩返しとして、

安全に活用することを前提に、これからも映画という文化に何かできないかと考えている。

今回の記事に結論は特にない。ただ、思考の形跡を残して将来の糧とするため、

思いついたことを書いてみただけである。